Archive "2019年4月"を表示しています。
2019.4.28 日
日本社会の稚拙さ誤解、呪術的且つ原始的で一人の人間、そして一つの技術というものを平気で破壊する悲惨な事実というものがあります。
2019.4.27 土
キチガイと正常の区別の歴史はフーコーの「狂気の歴史」の中に詳細にかかれているが、モイザーにいわせるとBewusstsein(意識)ということだったわけで、表現とはいつの時代でもどこまで意識的に表現できるかといういわば「表現=意識」の世界であるということなわけです。反対に知的障害とは意識の薄さ、つまり身体が意識的にではなく自動的に活動をはじめるということに他ならない。その意識の深さと広さ、意識できる範囲、つまり神経系の支配権を得るのが西洋的な知性と正常さということになるわけです。狂気とは意識のレベルが低いことである。アンドレ・ブルトンはフロイトのいう無意識の領域(人間の意識の殆どを占める無意識の部分)に注目しそれを逆に表現に利用しようと画策する。それがシュールレアリズムという技法であり派閥だ...
2019.4.24 水
人間はどうやっても水平展開してしまう生き物なので、全く違う人格に対して全く違うことを個別に行うということが基本的には不可能だと思っています。多かれ少なかれ人間はある程度のパターンをもっていて(それがすなわち個々の個性ということになりますが)そのパターンは都度都度オリジナリティーを厳密に保ち且つユニークな動作につなげるということができない。癖(雛形)は必ずある。
2019.4.23 火
フリードリヒ・ニーチェ(一八四四~一九〇〇)──ドイツの哲学者。牧師の息子として生まれ、最初は文献学を研究したが、その後、独自の思想を発表するようになった。これまでの哲学のもっとも根本的な転覆者である。主著に『悲劇の誕生』『ツァラトゥストラかく語りき』『善悪の彼岸』『人間的なあまりに人間的な』『この人を見よ』『力への意志』など。 小阪修平. そうだったのか現代思想 ニーチェからフーコーまで (講談社+α文庫) (Japanese Edition) (Kindle の位置No.107-110). Kindle 版.  私個人としてはニーチェが嫌いです。読んでいてあまり気持ちのよい物書きではないし、正直言って彼の極端な上昇志向が好きになれませんでした。しかしながら彼の書いたことには現代にとって重...
2019.4.22 月
ブログとというカタチでいくらかのテキストを書こうと思うのですが、いわゆるメディアという考え方でいえば、一見自由そうなこのインタネットの中もさほど自由ではない。特に言論の自由が保証されているわけでもない。Googleにしろ百度(Bidu)にしろ、政治的であれ、道徳的であれ、法的であれ、経済的であれ、何らかの言論統制をしていることには変わりがない。日本ではDocomo, AU, SoftBankなどが共同で何らかのアクセス制限を施すこともある。あるいは、極端な言論は精神病として隔離、ひどい場合には逮捕するなどは我々が日々まともそうなジャーナリストを通じてい批判しているあの国とやっていることは対して変わらないといった様相だ。  いつも思うのだけど、北朝鮮の喜び組とアメリカ合衆国のチアリーディング...
2019.4.22 月
ものの考え方とその尺度というものがその時代その時代特有のものがやはりあって、そしてその時代その時代でその方法論に関して疑いなく信じられてきたといういうことが人間の歴史であり、それらのある種の集積みたいなものが我々の現在の生活そのものであるという風に考えてよいと思っています。意味不明な専門性と振り回しているという空振り理論や空振り学問ではなく、かなり我々の生活にコミットしているというのが哲学の歴史です。  大雑把にいってしまうと古代のギリシャ哲学からはじまり近代に至るまでの間、哲学というのはそれほど複雑奇っ怪なものではありませんでした。単純に残っている書物が少ないというのもあり、地域自体も豊かな土地、または豊かな時代に限定されていて非常にシンプル且つ直線的な捉え方である程度は理解できるといっ...
2019.4.21 日
時空という概念は想像しづらい概念ですが、アインシュタインが一般相対性理論と特殊相対性理論という論文を発表して以来世界を反転させてしまった概念がこの時空というものでした。あいていにいえば時間と距離は殆ど同じ概念であり時間の伸び縮はすなわち空間の伸び縮みに等しいということになります。ニュートン以来定数として固定されていたものは「時間」であり距離と速度が変数として機能し物体の移動を定式化できるという考え方でしたが、アインシュタインは速度が定数であり距離と時間が変数となるという新しい物理公式を考え出したということです。これを直感的に言い表したよい表現に、「夜という時間は地球の自転によって夜という位置に移動した状態である」というものがあります。夜は時間という概念ではなく、むしろ地球の位置という空間的...
2019.4.20 土
ハイデガーの名著「存在と時間」の中で「存在をめぐる狂人の争い」という言葉が出てきます。古来より哲学という文脈では「存在」について研究することは非常に困難であり、実際問題として現在も尚我々が見ているこの世界という存在を含めて何故存在しているのか、または本当に存在しているのか、あるいはそもそもその「存在」とは何を意味しているのかに全く決着がついていないということ全体の比喩としてハイデガーがギリシャ語から引用しているのがその言葉、つまり、「存在をめぐる狂人の争い」ということになります。あった/なかった、言った/言わないなどのようにそもそもそれらが存在したのかどうかという問題に対して歴史の中でもずいぶん長い間それを議題にしてきませんでした。ギリシャ時代からハイデガーまでその間の哲学は存在に対しての...