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2019.10.21 月
Common senseとnormally、そして想像(create)という概念は、常に相反する。
2019.10.1 火
例えば人種差別の問題というものがあるとする。ほとんどの場合よくよく考えると人種というものは非常に分かりづらいもので、おそらく人種を定義できる人間はいないと思われる。私の友人にメキシコ生まれで小学生の途中から日本にやってきたハーフの友人がいる。彼は半分メキシコ人ではあるが、彼の血はメキシコを植民地化したスペイン人である。スペインの血でメキシコに生を受け半分メキシコ、半分日本で育っている。日常的に彼が何人であるのかを意識したことは、少なくとも私はない。外国人の犯罪について彼と話しているときも、私は彼を外国人だと思っていない。  同様にして私にはかつて韓国人の恋人がいた。彼女との共通言語はドイツ語だった。私は彼女とドイツ語を通して意思疎通をはかり、共通の友人はドイツ人や韓国人や日本人や、はたまた...
2019.7.27 土
貧富の差を語る前に我々が前提としなくてはならないのは、第一にその格差という状態を感情抜きに主観で見ようとする試みが必要であるということと、第二にその原因を突き止めようとしないこと及び誰かに罪を被せないこと。そして最後に貧富の差を生んでいるのは取りも直さず、こういった視座から我々のほとんど(殊にこのテキストを読んでいる階級のあなた)が生み出しているという事実を真摯に受け止めることであると私は思っている。つまり貧富の差が生まれるのは貧富の差という一つの社会的な発明であり、その発明によって豊かな社会を作っているのである。強いて言うなら我々は(少なくとも中産階級以上の人々は)そのような社会を作り上げている当事者であり、その当事者であることを踏まえて涙を流したり平等社会を叫んだりする者であることが大...
2019.4.27 土
キチガイと正常の区別の歴史はフーコーの「狂気の歴史」の中に詳細にかかれているが、モイザーにいわせるとBewusstsein(意識)ということだったわけで、表現とはいつの時代でもどこまで意識的に表現できるかといういわば「表現=意識」の世界であるということなわけです。反対に知的障害とは意識の薄さ、つまり身体が意識的にではなく自動的に活動をはじめるということに他ならない。その意識の深さと広さ、意識できる範囲、つまり神経系の支配権を得るのが西洋的な知性と正常さということになるわけです。狂気とは意識のレベルが低いことである。アンドレ・ブルトンはフロイトのいう無意識の領域(人間の意識の殆どを占める無意識の部分)に注目しそれを逆に表現に利用しようと画策する。それがシュールレアリズムという技法であり派閥だ...
2019.4.24 水
人間はどうやっても水平展開してしまう生き物なので、全く違う人格に対して全く違うことを個別に行うということが基本的には不可能だと思っています。多かれ少なかれ人間はある程度のパターンをもっていて(それがすなわち個々の個性ということになりますが)そのパターンは都度都度オリジナリティーを厳密に保ち且つユニークな動作につなげるということができない。癖(雛形)は必ずある。
2019.4.21 日
時空という概念は想像しづらい概念ですが、アインシュタインが一般相対性理論と特殊相対性理論という論文を発表して以来世界を反転させてしまった概念がこの時空というものでした。あいていにいえば時間と距離は殆ど同じ概念であり時間の伸び縮はすなわち空間の伸び縮みに等しいということになります。ニュートン以来定数として固定されていたものは「時間」であり距離と速度が変数として機能し物体の移動を定式化できるという考え方でしたが、アインシュタインは速度が定数であり距離と時間が変数となるという新しい物理公式を考え出したということです。これを直感的に言い表したよい表現に、「夜という時間は地球の自転によって夜という位置に移動した状態である」というものがあります。夜は時間という概念ではなく、むしろ地球の位置という空間的...
2019.4.20 土
ハイデガーの名著「存在と時間」の中で「存在をめぐる狂人の争い」という言葉が出てきます。古来より哲学という文脈では「存在」について研究することは非常に困難であり、実際問題として現在も尚我々が見ているこの世界という存在を含めて何故存在しているのか、または本当に存在しているのか、あるいはそもそもその「存在」とは何を意味しているのかに全く決着がついていないということ全体の比喩としてハイデガーがギリシャ語から引用しているのがその言葉、つまり、「存在をめぐる狂人の争い」ということになります。あった/なかった、言った/言わないなどのようにそもそもそれらが存在したのかどうかという問題に対して歴史の中でもずいぶん長い間それを議題にしてきませんでした。ギリシャ時代からハイデガーまでその間の哲学は存在に対しての...
2019.4.7 日
人間のメンタリティーとして未だ理解不可能なのは「知ったかぶり」である。何故彼等は知ったかぶりをするのかについては何度も説明を受けるがその説明自体が意味不明な場合が多い。 自己否定 承認されたい  自己肯定の激しい心理状態はナルシズムとして否定的に扱われることが多いが自己否定もまた同様に否定的に扱われる。これらはおそらく同じ事物の2つの側面ということなのだと思う。極端な自己否定と自己肯定は同様の心理状態なのだ。少なくとも同じ人間にこの極端な否定と肯定が同居するケースは少なくない。おそらく心理学的に自殺/他殺のように非常に近い関係の中にまったく違う様相を伴うものは多数あるのだと思う。  「自分でわからないことを指示する/わからないことを人のせいにする」ということがごく頻繁にある。問題は何故そう...