狂気と正常の境目

2019.4.27 (土)

 キチガイと正常の区別の歴史はフーコーの「狂気の歴史」の中に詳細にかかれているが、モイザーにいわせるとBewusstsein(意識)ということだったわけで、表現とはいつの時代でもどこまで意識的に表現できるかといういわば「表現=意識」の世界であるということなわけです。反対に知的障害とは意識の薄さ、つまり身体が意識的にではなく自動的に活動をはじめるということに他ならない。その意識の深さと広さ、意識できる範囲、つまり神経系の支配権を得るのが西洋的な知性と正常さということになるわけです。狂気とは意識のレベルが低いことである。アンドレ・ブルトンはフロイトのいう無意識の領域(人間の意識の殆どを占める無意識の部分)に注目しそれを逆に表現に利用しようと画策する。それがシュールレアリズムという技法であり派閥だった。それゆえにシュールレアリスムは狂気を帯びているように見せかけることで芸術を超越的にするという機能をもたせることにある程度成功した。