2019.4.17 水
類まれな阿呆は時折出会うことになる。阿呆はその中身がどうあれ外見とその振る舞いで殆ど決定づけられる。無意味に笑う。姿勢が悪い。話が終わらないうちに頷く。声が上ずっている。落ち着きがない。いろいろな要素でその人間の阿呆さの印象が決まる。その後その印象を拭い去ることはなかなか難しい。しかし実際にはいわゆる高等教育を受け学力レベルが非常に高いにもかかわらず阿呆である人間が数多くいる。阿呆の根本要素は非常なる不安である。  不安な人間の言動はその不安さという状態よりもむしろ自己の保身と保護を目的としたその手段があまりにも早急なために安易であることが多い。不安の中で熟考できることが少ないため、時短且つ安易に問題対処法が考案され実行される。否、実行されるのであればまだマシな方で阿呆の典型はその実行を他...
2019.4.15 月
日本人は非常に優れた民族ではあると思うのですが、部分的に非常に後進国。信じられないかもしれないがある部分では非常に呪術的である部分ではイスラム教徒の過激派以上に信心深い。そして非常に格差がある社会に生きています。ある部分ではおそろしく見識が低い。ある意味で危険なことを知らないというのは逆に非常に危険なことだと思うわけです。つまりそれが無教養。 麻薬の区別がつかない  一般的な日本人は麻薬の区別がつきません。私からするとウィスキーと焼酎と日本酒とワインと消毒用のアルコールの区別がついていないような感覚で非常に滑稽です。是非麻薬についてきちんとした理解をしておきましょう。 焼酎やウィスキーなどの蒸留酒は強いわりには二日酔いになりづらい。日本酒やワインなどの醸造酒はお酒の中でも非常に深く(しつこ...
2019.4.13 土
エドワード・W・サイードは「知識人とは亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらには権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手である」と言っている。彼はパレスチナ人であると共に現実問題として実に危険な政治的空間で物申している人物である。サイードに言わせてみれば誰の発言もその権力社会に属し忖度した発言にしかならない。また発言にある通り、知識人としての表現者は専門家であってはならず極めて素人でなくてはいけないというのである。 素人であることは非常に困難だ。むしろ素人(アマチュア)であることは不可能に近い。なせなら我々には生活というものがあり少なくとも経済的な独立をしなければ自由が獲得できないからである。にもかかわらず素人であることを主張するとしたら、彼のバックボーンが自ずと語ってい...
2019.4.11 木
「あなたにもできる、たったの10日間で1万円を100万円にする方法」というようなコピーライトの書籍などが平積みになっているのが日本の書店の不思議なところだ。海外ではそのような書店のあり方は極稀である。特にヨーロッパではハリーポッターが山積みになっているだけで、投資目的の本が一般化されることは非常に少ない。日本にはフォレスト出版やサンマーク出版など実用書や自己啓発本と呼ばれているコンテンツを売りにする特異な出版社が存在する。およそ内容的には週刊誌のゴシップに類似した感触があるが、それでも電車のつり革広告や八重洲ブックセンター(首都圏の書籍の売上を反映しているといわれいる東京八重洲口にある大きな書店)での喧伝などでみすず書房などに比較して膨大な売上である。一方本当の意味で役にたつ書籍を扱う出版...
2019.4.8 月
加藤周一の文献(*1)の中で科学と文学についての実に完結でわかりやすい論文がある。一般に言われている科学という手法や目的その論述の方法と、いわゆる愛や恋や人間の感情、恣意的な物語や詩などの文学というのは更に抽象度を高めるとそれほど乖離したものではないという説を描いている。ここで私が「描く」というのは意図的で彼はその論文自体とまるで絵本のように(半ば人を食ったような)描き方で説得しようとしているのである。  しかしこの世界はどのような理由がバックボーンあるのかはわからないが、文学よりも科学の方により理性的且つ生産性があるという仮定の元に語られることが多々ある。男女の夫婦喧嘩、会社での会議のそれ、選挙演説でのその内容、どれもこれも半ば屁理屈に似たものであっても論理立てられた理論の積み重ねによる...
2019.4.7 日
人間のメンタリティーとして未だ理解不可能なのは「知ったかぶり」である。何故彼等は知ったかぶりをするのかについては何度も説明を受けるがその説明自体が意味不明な場合が多い。 自己否定 承認されたい  自己肯定の激しい心理状態はナルシズムとして否定的に扱われることが多いが自己否定もまた同様に否定的に扱われる。これらはおそらく同じ事物の2つの側面ということなのだと思う。極端な自己否定と自己肯定は同様の心理状態なのだ。少なくとも同じ人間にこの極端な否定と肯定が同居するケースは少なくない。おそらく心理学的に自殺/他殺のように非常に近い関係の中にまったく違う様相を伴うものは多数あるのだと思う。  「自分でわからないことを指示する/わからないことを人のせいにする」ということがごく頻繁にある。問題は何故そう...
2019.4.6 土
芸術家が嫌いである。芸術家の話は少なくともつまらない。勿論その芸術家達はひょっとしたら芸術家ではないのかもしれないし、私的には彼等は芸術家ではない。ゴッホが偉大な芸術家であると思っている大衆とゴッホを芸術家に吊し上げた商業であるということだ。そこには意味がない。しかし勿論ゴッホの絵画は私にとって偉大なものだ。しかし彼の絵が偉大な理由は私一人の中にある偉大さであって大衆が民主主義的に多数決で決定した偉大さではない。少なくとも多数決・常識・形骸化した道徳・習慣・ドグマによって規定される美や偉大さ、あるいはその当事者の脳天に突き刺さるようなあの感覚を規定することはできない。芸術はあくまでも私的なものであり、またはもっとシャーマニズムに由来するような一種のヒステリックな共同幻想・共時性に由来するもの...
2019.4.6 土
「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。 –146節」 Wer mit Ungeheuern kämpft, mag zusehn, dass er nicht dabei zum Ungeheuer wird. Und wenn du lange in einen Abgrund blickst, blickt der Abgrund auch in dich hinein.  ニーチェが非常にラディカルな哲学者であるという誤謬がある。彼の哲学は革命的ではあったが文学的ではない。私自身は、彼は遠くから事物を見つめる観察者であり傍観者であると思っている。遠くから傍観し辛辣な言葉を発すること自体に違...